WJ版封神演義と私

新年早々推しのカフェに全落ちしれ締め切りまでの時間に余裕ができたので一昨年から人生を狂わせているWJ版封神演義について振り返ろうと思う。

言うまでもなく腐っているので今更過ぎるけど注意してください。

 

まず私ですが産まれた頃からジャンプとサンデーと漫画に囲まれた生粋のオタク兼少年漫画を嗜む幼女だった。ただ幼女~小学四年生頃までは漫画よりもゲームばかりしていた。スーファミから始まり今では懐かしい64など。基本はアケゲーをしていたので家庭用ハードはなかった&悲しい程に両親が機械オンチでその後の後継機ハードは買い与えてもらえなかった。それもあり、小学四年位からは興味はゲームから漫画へ移行していった。勿論、ゲームをしている間も毎週父親が買ってくるジャンプは毎週読んでいた。当時のお気に入りはるろうに剣心。根っからのジャンプっこだったのである。

封神との本格的な出会いはその頃だった。

もともと連載当初からずっと読んでいたが連載当初はゲームの方に夢中で封神演義をそこまで深く読んでいなかった。ただやたらハンバーグの印象だけが強く、興味が漫画に移ってからもハンバーグ漫画のイメージだった。

そんなハンバーグ漫画から神漫画へ認識が変わり始めたのは趙公明戦からである。

一人のキャラクターが現われたのだ。その人の名を『竜吉公主』

あい子じゃねえのかよ。あの子じゃないんです。

第一印象からきめてましたとはこの事。美人+強い+病弱。もろ好み。ヒロイン大好き属性持ちの自分は一目惚れ。そこまで深く読んでいなかった封神演義の単行本を買い全部復習。そこの頃にはスープーもかっこよく大人になり、熱い趙公明戦も終わりを告げた。

その頃の印象はジャンプ主人公太公望(以下色々心の持ち用的な意味で師叔)、イケメン楊戩、かっこいい天化、マスコットスープー、その他強くも個性的な仲間たちと正統派少年漫画として読んでいた。

そして、当時物議をかもした(らしい事を大人になってから知った)仙界伝のあれのあれも始まった(ような記憶があるけれども記憶違いがあったら申し訳ない)

正直、連載中だしどう考えても追いつくからウテナみたいな終わり方になるんじゃないか?と思っていた。当時は連載に追いつくと引き伸ばしか良く分からん終わり方ばっかりされていたのでまあ、封神もそうだろうと思っていた。結果は幼少ながら悪くないんじゃない?だった。朝早くに起きて毎週欠かさずビデオに録画して結構熱心に見ていたけれども、悪くないで最終回を観た記憶がある。ただびっくりする位記憶に残らなかった。

ある一点だけ納得がいかない点もあったけれど(これについては後述する)悪くなかった。それが仙界伝の記憶である。

 

話を本誌に戻すと、大体の方はお察しだと思うが本誌ではみんなのトラウマ仙界大戦がはじまった頃でもあった。

そこでどっさり新キャラも登場して、当然ながら公主様も登場し毎週わくわく読んでいた。

そうわくわく。わくわくだったのである。作中で玉鼎真人が封神されるまでは・・・。

結構ショックだった。味方陣営でほぼ初の封神。まさか、と思いこの頃に小説版封神演義(原作版)を読んだ。そこで初めて、竜吉公主が結婚すること、封神される事を知ったのである。

気が気じゃない。この感じでは公主死ぬのでは?原作的には黄家全滅どころじゃないじゃん?え、嘘。

当時小学生だった頃の私は毎週ハラハラして読んだ。思えば小学生が嗜むには仙界大戦はヘビーだった。話が進むに連れてあまり楊戩に思い入れのなかった私でも「何これ重い…」と思ったレベル。

だが、そんなもんまだちゃちな物だった。

当時小学校で封神を読んでいた友達は天化派と、普賢派に分かれていた。この二派だったのである。公主推しなんている筈がなく、天化は人気なのは理解できるが、普賢がここまで人気なのは何故?とまで思っていた。アニメにも出てきたが声がまさかのウラヌスという高待遇っぷりに世のお姉さんも大人気なのは察した。ただ、あんだけのちょびっと出演しかしなかったなら別に出なくてもいいんじゃない?とこの一点だけが仙界伝で納得がいかなかった。天化が歌ったのとか女の影を残して終ったのはそんなに気にならなかった。

そんな大人気だった普賢にそれほど興味がなかった私であるが、どうしようもなく印象に残る事になる。

普賢の封神である。

あまりの壮絶な最後に、辛いどころじゃない。もはや見事と称えるレベル。小学生ながら、これなら師叔も出し抜けるし友達になるなと感じた。そりゃあ、ウラヌスと同じ声帯しててもしょうがないよ、と全私が納得。

さよなら望ちゃんのシーンはこの後何十年か経ってから思いもよらない形で背中から刺されることなる。

そんなこんなで封神演義で公主が死ぬんじゃないかと怯えながら成長し、WJ版封神演義は連載を終えた。最終決戦は今迄読んできたジャンプ漫画で一番くらいにテンションがあがり、最終回の見開きの伏羲はいつまえでも記憶に残った。

ここで、疑問に思われる方もいると思いますが、当時の封神は人気ジャンル。それはそれはカップリングが山ほどあった。封神で同人アンソロを読み腐的な目覚めをした方も多いだろう。

例に漏れず、私も中学に上がった頃極楽封神伝を渡された。最初は何かわからず、接骨院の待合室でそれを開いた。

感想は、ない。

これはない。なんで聞仲と飛虎が抱き合っているんだ。そもそも楊戩は鼻血を出して倒れたりしない。まさかの封神で腐女子に目覚めなかったのである。逆に封神のBLカプに対して拒絶反応を引き起こすほどになっていた。以降二十年近く封神のBLカプは特大の地雷として根付くことになる。(誇張ではなくてマジでだめだった)

ここで、封神演義は私の中で名作漫画との思い出という形で一旦の幕を落とす。このままでいれば、いい漫画だったね、で終るはずだったのである。

 

覇穹 封神演義

に出会うまでは。

 

封神演義の連載が終わり、二十年経つかたたないか。あの頃ただの漫画オタクだった私は立派な腐女子に育っていた。

腐ったのは成人してからという超スローペースだったが腐っていた。だがしかし、あの頃の思い出の作品である封神BLカプに対する拒絶反応は健在で、当時のTwitterでは絶対に無理、とまで言っていたレベル。封神二次創作にはまったく触れることなく大人になった。

最初に封神演義の再アニメ化を知ったのはTwitterのトレンドだった。びっくりしたし、幼少期の神漫画の再来に喜んだものだ。連載が終り、追いつくという事がなくなり作画レベルやCGのレベルもあがった現代の技術であのシーンやあのシーンが観られるのかとジャンル外のただの読者だった私ですら期待したのだから、長年のファンの方ならば期待も大きかっただろう。メインビジュアルやスタッフの公開が徐々にされはじめ、期待が高まり続けた。

脚本が名前を言ってはいけないあの人だという事を知るまでは・・・・。

その辺はまあ、色んな方が語っているので割愛しましょう。

アニメの放送が始まった2018年1月12日。ある意味今の私の始まりであり、頭を抱える日々の到来であった。

OPは悪くない。ぬるぬる動く。ポッター版師叔かなり良いしテントモンのスープーも良い。キャスト発表時にえ?と思った山崎宗介と同じ声帯の飛虎も全体的にキャストが若い事もあり、若!!とは思ったものの聴ける。ただ。

とりあえず脚本表出ろ。

この辺は察してほしい。それから。

何で普賢出てきた??

いや、普賢嫌いじゃないけど今なの?今?まあいいや、ノッブ悪くない。つかこんなに普賢可愛かったっけ?なんか滅茶苦茶可愛くない?思い出補正か?この頃から既に今の自分が形成され始めていた。だが、自覚するのはなんと一年後になる。

最初がこれだから後は悲惨になるぞ・・・と身構えたら身構えたで毎週毎週斜め下から刺される日々。その頃には友達から「タイムラインで封神見てるのお前しかいないけど打大丈夫?」と聞かれ「大丈夫じゃねえよ」と返す始末。

それでも仙界大戦まで来ると、多少はマトモになった。毎週毎週声優が豪華すぎて何やってんですがとPCの前で思う日々はここでも健在。悲劇の始まり玉鼎真人が跡部様の中の人で約束された勝利の演技を確信した。実際よかったんですけど。

さて、もうこの頃になると脚本が悲惨すぎて願う事は一つになっていた。連載当時、仙界大戦で最も印象深かったシーンのアニメでの再現である。

普賢の封神。

そのシーンをこの不安しかないアニメでどう表現するのか。最早それを観るためだけにはきゅー君の視聴を続けた。途中人生の女神がラスボスの声をやっていて画面でもツイッターでも荒れたのなんて些末な事。毎週普賢が出るたびにノッブ仕事しろ、ノッブ仕事しろ、と中の人に怨念めいた期待をしていた。ニューロマンテックであんだけ神作画と神脚本して普賢最強かっこかわいい戦闘を再現したんだから出来ない子じゃないだろはきゅー。ノッブだって頑張ってるんだから、信じてるからなはきゅー。と、裏切られる予感しかしなかったが期待をしていた。

そして、ついに来た「星降る時」。普賢封神。感想はひとつ。

ふざけているのか?

楽しみにしていたショートケーキをあろうことか顔に叩きつけられたあれです。というか最後の8分以外いる?そもそも何で木吒が言うからこその最後の言葉が重みになるシ台詞をぶきっちゃんに言わせた?経費削減か?だったら土行孫に芹沢尚をキャスティングするなよ一言しか喋ってないぞ?極めつけはあれである。

なんでさよなら望ちゃんここで言わせなかった??※翌週冒頭に言いました

特殊EDまで用意しておいて何であの台詞を言わせないの?もうツッコミどころしかない。

その翌日に友人と行った当時六本木でやっていたジャンプ展でまさにそのシーンの原画があって、いかに思い出を踏みにじられたかを語ったのは思い出に新しい。

その頃には一般的な腐女子らしくカップリングものを嗜み始めたものの、とりあえず眼に入ったので楊太を嗜んでいた。が、普賢の封神にばかり期待をしていたためか、楊太的に美味しい所は完全にスルーしており、普賢の封神が終ったらTwitterで楊太が付き合っている所が云々等等すらスルー。腐女子的にもある意味深刻なダメージを受けていた。あまり同人誌に金をかけていなかったのもあり、代わりにグッズを集めていたのだが、最早これは今思えばフラグでしかないのだが、やたらトレーディング系で普賢が集まる。当時最高レートだった普賢をわんさか自引き。グッズもタイバニ全盛期を通っていたせいか、とりあえず朝行けば買えたので今は無きJWのアクスタもゲットしていた。普賢に至っては何故か手元に二つある。当時の推しは師叔と楊戩だと思っていたのに。あとはこれも奇跡で、この時玉鼎も買っていた。今思えばフラグだった。

はきゅーの終わりとともに、JWのコラボやジャンプ展のVol2の閉幕、そして当時放送前から追いかけていた某水泳アニメの三期が始まった事もあり、頭を抱える日々はまた終わりを告げる。(水泳アニメの三期も頭を抱えたんですがそれは割愛)

 

三度目にして現在のどうしようもない私ができあがったのは、その年の9月下旬にあったはきゅー君公式イベントだった。もうこれで完全に墜ちたと言っても過言ではない。

 

イベントは昼夜の二公演。どちらのチケットも持っていた私はイベントの空席に寂しさを感じつつ、中の人たちのトークに笑っていた。昼の部では中の人が作中のシーンを朗読するコーナーがあり、聞仲様をメインにした朗読。さすがプロ。ただ普賢がなかったのが寂しかった・・・。夜の部もこんな感じかなー、と迎えた夜の部。

今度は師叔をメインにした朗読コーナー。昼の部と違い楊戩がめっちゃ喋る・・・と思っていた。おい、お前の推しだろ、という感じだが察してほしい。楊戩が喋るなら、と少しの希望を抱いた瞬間。

ノッブが、普賢が喋った。

あの台詞。普賢封神直後のカラーページにあった普賢の独白。流れるモノローグ、師叔とのあの悲しくもすれ違う背中越しの会話。

 

「さよなら、望ちゃん」

 

その場にいた私は泣いた。そうだよ、これが見たかった。聴きたかった。ありがとうイベントスタッフさん、ありがとうノッブ、君は最後にいい仕事をした。最早その後のイベントの記憶はない。只管ノッブありがとうノッブと水泳アニメから追っておきながら感謝した事のない中の人に精一杯の感謝をした。

この公式イベント後、元々5月くらいに申し込んでいた同人イベント向けに三日で普賢を中心にした本を書いた。自分至上最高速度で書いた。勢いって怖い。

もうこの位の頃になると、封神における推しは完全に変わっていた。公主様は今でも女神であることには変わりない。ラスボスの声が三次元の女神なのも分かっている。

普賢が尊い

完全にあの頃と推しが変わった瞬間だった。

小学生だったあの頃の自分に完全ブーメランである。そこからはまあジェットコースターだった。月に一冊は本を出し、アンソロを企画し、挙句オンリーまで計画する始末。常に次が最後、次が最後といい続けていたら二年が経っていた。

誰だよ封神BL地雷っていったの。現在進行系で普賢と玉鼎のBLにどっぷりじゃねーか。

 

2020年も封神の沼に沈む事でしょう・・・。普賢真人はいいぞお